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江戸時代に入ると、幕府によって五街道や宿場が整備され、書状や荷物を運ぶ飛脚制度が整えられました。飛脚には、公儀の継飛脚、諸藩の大名飛脚、町人も利用できる町飛脚などがありました。
継飛脚は、公儀の信書や貨物を郵送し、二人1組で宿駅ごとに引き継ぎながら運びました。一人が御用と朱書された御状箱を担ぎ、もう一人は肩代わりとして、昼間は徒手で夜間は御用と記した提灯を担いで、昼夜兼行で走りました。
このフレーム切手(Pスタンプ)は、葛飾北斎の富嶽百景の中の「暁の富士」です。急を要する場合、継飛脚は江戸と京都を約70時間で運んだと言われています。
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