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犬養毅は、1855年備中国賀陽郡(現岡山市)に生まれ、号を木堂(ぼくどう)と称し、明治中期から昭和初期にかけて政党政治の確立に貢献しました。
書にもすぐれ情にも厚い政治家として、地元では犬飼木堂先生として慕われています。
立憲改進党に属して、1912年の第1次護憲運動では尾崎行雄とともに桂内閣を総辞職に追いこみ、1924年の第2次護憲運動では護憲三派内閣で活躍しました。
1931年、76歳で第29代内閣総理大臣に就任しましたが、翌年5月15日に有名な「話せばわかる」という言葉を残し、首相官邸において海軍青年将校の凶弾に倒れました。
犬養毅の死は、太平洋戦争前の政党政治の終焉を意味し、その復活には戦後まで待たねばなりませんでした。
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